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いつも通り、むっくり起き上がってから私は朝のインスタントコーヒーから沸き立つ蒸気をボケっと眺めてふぅぅ、とひと息つく。いつまでもそうしていてはせっかくのコーヒーが冷えてしまうから、いつものミルクを今日は多めに注ぎ足して、まろやかで贅沢な一杯を飲み干す——。
そこでふと、気づいた。

ジェンダーは、コーヒーとミルクの関係に似ているのではないかと。

 

ミルクとコーヒーしか淹れちゃいけない

ジェンダー コーヒー

「ジェンダーがコーヒーとミルクの関係に似ている」とはなんのこっちゃ、と思われる人がほとんどだと思います。たとえば、コーヒーの割合が変われば、カフェラテにもカフェオレにもカプチーノにもなりますよね。またコーヒーだけではなく、紅茶とミルクの組み合わせならミルクティーにもなります。
これを性別に当てはめて考えてみましょう。誰しも「私、100%女性です!」「俺、100%男性です!」と思っている方は、案外少ないのではないでしょうか。例えば1人の人間の性別全体を100としてみたときに、本人は80%は女性だけれど20%は男性だと認識しているかもしれません。あるいは、男・女どちらも50%ずつだよという人もいるのかもしれません。こうやって考えていくと、なんだか面白くなってきませんか?世間では、このように自分で認知している身体や心の性別のことを「性自認」といいます。

性別というのはコーヒーとミルクの二つに分けることなんてできないように、決して「男性」「女性」で分けられないと思うのです。これがいわゆる多様性だと私は思っています。

このような違いがたくさん出てくることで、もちろん良い面もあるのですが、反対にさまざまな問題も生まれてきています。そこで、今回はこの「多様性」をキーワードにジェンダーについて考えていきたいと思います。

丸をつけたいのは、性別欄「男・女」の間にある「・」

ジェンダー

男性・女性という二分法(バイナリー)に当てはまらない人、「男性とも感じない」「男性と女性の間にいる気がする」という人。 こうした性自認や性表現を持つ人をノンバイナリーと呼びます。
有名人のなかにもノンバイナリーを公表している人がいます。日本では7月に宇多田ヒカルさんが公表し、話題に。 イギリスの歌手ウィル・スミスや、​『​クィア・アイ』のジョナサンもカムアウトしています。

かくいう私もそのノンバイナリーに当たります。小さい頃から私は性別欄の「男・女」の間にある「・」に丸を付けられたらな、と感じていました。なぜ「どちらか」に丸を付けなくてはいけないのか、幼いながらにごく小さな疑問を抱いていたのです。

ファッションに関しても、最近はユニセックスなものに興味があります。例えば卒業式などの身近なイベントでも着る「袴」。わたしも小学校を卒業するときに着たことがあります。

江戸時代、もともと男性用の着物だった袴。明治時代になると、動きやすさと実用性の面から女性にも徐々に広まっていったそうです。袴の歴史や文化だけを見ても、日本では150年以上も昔からジェンダーレスファッションが日常に取り入れられていたとわかります。

このようにジェンダーレスな歴史や文化があるにもかかわらず、やはり世の中には書類の性別欄やファッションなどをはじめとする、男性と女性だけの「無意識的」二分が数多く存在していると感じるのです。

「どちらともいえない」私たちの流れ着いた先には

ジェンダー

性自認に関する言葉は、ノンバイナリー以外にもたくさんあります。 トランスジェンダー、xジェンダー、クィア、アセクシャル、デミロマンティック……。 聞いたことがあるものもあれば、知らないものもあるかもしれません。調べてみると、ジェンダーに関する呼び方には85種類以上もあるんだとか。さすがに全部の呼び方は覚えきれないでしょう。

<参考>THINK ABOUTPRIDE JAPAN

しかし言葉があることによって、「自分だけじゃないんだ」「社会に認められた」と居場所を感じられる人もいると思うのです。

今の世の中はまるで、狭い船の中で「男はここ」「女はここ」と座席指定されているような窮屈で息苦しい状況ではないでしょうか。私は窮屈な船を飛び出して、もっとたくさんの場所でジェンダーレスが広がっていけばいいなと思っています。

「別に自分は心も身体も男/女だし、ジェンダーレスじゃなくたっていい」という考えを持っている人もいるでしょう。また「トランスジェンダーの人がどんな服を着ていたって自分は​差別しないし、自由に着ればいいよ」という声も耳にしたことがあります。この後者の声は一見協力的で理解があるように見えますが、実はそうではないと私は思っています。

例えば「身体は女の子だけど心は男の子」というトランスジェンダーの人が「男子の制服を着る」とします。「着た」という結果に目がいきがちですが、実は身体の性とは異なる制服を着るのにめちゃめちゃ悩んだ背景があると考えられませんか?「心の性と一致する制服を着ること」は、勇気を出した結果、行動だと思うんです。このような悩みや勇気は、心と身体の性が一致している人にとって無縁なもの。トランスジェンダーの人たちに立ちはだかる壁を、無意識のうちに「男女差のある服」という形で見てみぬフリをしてきたのがこれまでの世の中だったと思います。

しかし、今では少しずつ人生の選択が「性別」によって制限が少なくなってきました。より自由に表現できるようになった現代だからこそ、自分自身が「らしく」あれる性のあり方を探していってもいいんじゃないかと思います。「女性らしくなくては​いけない」「男性らしくなくてはいけない」と自分に呪いをかける「らしさ」はどこかに投げ捨てて、「自分らしさ」を磨いていくことで、ようやく「性別の枠に当てはめない生き方」が見つかるのだと思います。

私たちはいわば漂流者です。これまで世の中に当たり前にあった性別という「枠」が今、少しずつグラデーションになっていこうとしています。自分とは異なった性のあり方に違和感や抵抗感を覚える人も少なからず居ることでしょう。しかし、そんな時こそ自分の軸となっているものはなんだろう、と問いかけてみることが大切なのではないでしょうか。流れ着いたその先に、必ず陸はあるはずです。

 

なんだか性別の話って奥深くて難しそうと思っている方もこれを機にぜひ、「自分の性は何パーセントくらいかな?」と考えてみませんか? インターネットでいくつかの質問に答えるだけで性別を診断してくれるサイトもあるので、自分について知るときの参考にしてみてくださいね。

○セクシュアリティ分析 anone, https://anone.me/

(執筆:10月期TCPライティングコース|高1・ユッカさん)

 

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